風神雷神図屏風

THE WIND AND
THUNDER GODS

風神
雷神

THE WIND AND
THUNDER GODS

  • 俵屋宗達筆
  • 国宝
  • 江戸時代
  • 二曲一双
  • 紙本金地著色
  • 各縦154.5cm 横169.8cm

本図には落款も印章もありませんが、俵屋宗達の真作として、しかも晩年の最高傑作とされています。二曲一双の屏風全面に金箔を押し、右隻に風神、左隻に雷神を描いています。現在は京都国立博物館に寄託しており、 建仁寺では、高精細複製作品の屏風画が展示されております。

俵屋宗達
? - 1640頃

宗達は尾形光琳と並び称せられる近世初期の大画家だが、その知名度の高さと後世への影響の大きさに比べその生涯には不明な点が多い。おそらく親交のあった角倉素庵や烏丸光広と同年代、1570年代かその少し前の生まれと推定される。京都で「俵屋」という当時絵屋と呼ばれた絵画工房を率い、扇絵を中心とした屏風絵や料紙の下絵など、紙製品全般の装飾を制作していたと考えられている。同時代の仮名草子『竹斎』には、この頃京都で「俵屋」の扇がもてはやされたと記されている。

双龍図

龍図

TWIN
DRAGON

  • 小泉淳作筆
  • 平成時代
  • 紙本墨書
  • 縦11.4m 横15.7m
  • 法堂天井

法堂の天井いっぱいに阿吽の口をした2匹の龍が描かれる。阿形の龍は手に玉をつかむ。仏法守護として、また水の神として仏法の教えの雨(法雨)を降らせるたとえから、禅宗の法堂に描かれることが多い。建仁寺法堂は古くより龍は描かれず素木(しらき)とされてきたが、1年10ヶ月の歳月を経て、建仁寺創建800年を記念して平成14年(2002)4月に小泉淳作画伯の筆により完成したものである。

小泉淳作1924 - 2012

1924年、神奈川県鎌倉市に生まれる。慶應大学文学部を中退し、東京藝術大学日本画科に入学し、山本丘人に師事。絵画制作のかたわら、デザイン、陶芸などを手掛ける。第4回山種美術館賞展にて『奥伊豆風景』が優秀賞を受賞。1982年頃より水墨画に目覚め、様々な作品を発表。1997年、鎌倉建長寺法堂の天井画制作に着手(2000年4月完成)。また、当寺開創800年慶讃事業の一環として、法堂天井画「双龍図」制作に着手し、2002年4月に奉納。2012年1月、肺炎のため横浜市内の病院にて逝去。享年87。

海北友松襖絵

KAIHO-
YUSHO-
FUSUMA-E

雲龍図

海北友松1533 - 1615

浅井氏家臣・海北綱親の五男として生まれる(三男説もあり)。その画は宋元画、特に梁楷の影響を受け鋭く力のこもった描線と省略の多い画法(減筆法)によって独自の画境を開いた。作品は大画面の水墨画が多いが、金碧濃彩の屏風絵もある。八条宮智仁親王や亀井茲矩、もともと東福寺の退耕庵主だった安国寺恵瓊と親しかった。後に息子の友雪は、利三の娘である春日局から褒賞を受けている。

唐子遊戯図

TCHINESE BOYS
at PLAY

  • 田村月樵筆
  • 明治時代

床壁貼付絵の月夜唐子舟遊図を主題とする。葦茂る湖上に、五人の唐子が舟より月を眺める風情をあらわすが、漂渺たる空間に雲間の月が浮かび、その影が湖面に幾重もの輪となって映じられているのがおもしろい。押入襖絵の書画を楽しむ情景は、むしろ微笑ましく、舟遊の風流事とともに洒脱な趣味が汲み取れる。
南側壁貼付絵から東側襖絵にかけては、一転して遊び戯れる唐子たちの姿態が、闊達にとらえられ画面をいっそう明るく動きのあるものとしている。
唐子の人物描写に見るよどみない筆運びは、筆者の円熟した画境をそのまま表明しているかに受け取れる。明治四十五年の作にて月樵六十七歳となり最晩年にちかい時期である。

唐子遊戯図

田村月樵1846 - 1918

明治期の日本画家、洋画家、画僧。幼き頃から南画や仏画を学ぶ。初め写生画に傾倒し、明治初年には、京都洋画壇の先駆者として活躍した「宗立」の名で知られている。

奉納作品

Votive offering