THE WIND AND
THUNDER GODS
THE WIND AND
THUNDER GODS
本図には落款も印章もありませんが、俵屋宗達の真作として、しかも晩年の最高傑作とされています。二曲一双の屏風全面に金箔を押し、右隻に風神、左隻に雷神を描いています。現在は京都国立博物館に寄託しており、 建仁寺では、高精細複製作品の屏風画が展示されております。
TWIN
DRAGON
法堂の天井いっぱいに阿吽の口をした2匹の龍が描かれる。阿形の龍は手に玉をつかむ。仏法守護として、また水の神として仏法の教えの雨(法雨)を降らせるたとえから、禅宗の法堂に描かれることが多い。建仁寺法堂は古くより龍は描かれず素木(しらき)とされてきたが、1年10ヶ月の歳月を経て、建仁寺創建800年を記念して平成14年(2002)4月に小泉淳作画伯の筆により完成したものである。
KAIHO-
YUSHO-
FUSUMA-E
海北友松によって桃山時代に描かれた方丈襖絵 「雲龍図」。元は方丈東南の礼の間の襖に描かれた雲龍図で、現在は8幅の表具仕立てになっている。
もと方丈北東の書院の間に描かれていた花鳥図8幅である。建仁寺方丈の障壁画中、友松らしさがもっともよくあらわれているとの誉れが高い作品である。
海北友松が60歳代後半の作となるが、年代がわかる作品としては最も早い例となるものである。七賢とは中国の西晋代に世俗を避けて竹林に会して清談にふけった七人の隠士のことである。友松の人物描写は袋絵あるいは袋人物と言われ、濃淡を主体とした柔らかく速度のある筆致の減筆の手法に従うものである。
この図は方丈の襖絵のなかでは、唯一淡彩を施した作品であるが、竹林七賢図など他の友松の人物画とは違い、全体に伝統的で厳格な画面構成となり、人物以外の樹木や岩などの描法にも狩野派的な要素が見られる。
玉澗の破墨法に学んだ草体山水図といわれるもので、淡墨で周囲の風景をある程度描いたあと、続いて中墨、濃墨で輪郭を整えながらアクセントを付けて仕上げる技法である。この絵は、のちに友松が好んで描いた山水図の出発点とも言うべき作品である。
TCHINESE BOYS
at PLAY
床壁貼付絵の月夜唐子舟遊図を主題とする。葦茂る湖上に、五人の唐子が舟より月を眺める風情をあらわすが、漂渺たる空間に雲間の月が浮かび、その影が湖面に幾重もの輪となって映じられているのがおもしろい。押入襖絵の書画を楽しむ情景は、むしろ微笑ましく、舟遊の風流事とともに洒脱な趣味が汲み取れる。
南側壁貼付絵から東側襖絵にかけては、一転して遊び戯れる唐子たちの姿態が、闊達にとらえられ画面をいっそう明るく動きのあるものとしている。
唐子の人物描写に見るよどみない筆運びは、筆者の円熟した画境をそのまま表明しているかに受け取れる。明治四十五年の作にて月樵六十七歳となり最晩年にちかい時期である。
Votive offering
御開山御誕生880年を記念し手がけた、細川護熙氏による襖二十四面の作品。
瀟湘とは中国の湖南省に瀟水・湘水という河があり、これらが合流して洞庭湖という大きな湖にそそぐ地域の名。古くから伝説や神話が残る此の地は、数多くの詩人や画家たちが訪れる中国有数の景勝地として知られる。
北宋時代(11世紀)に活躍した画家・宋廸が、八通りの景観を選び豊かな自然を絵画化したのが瀟湘八景図のはじまり。現在、宋廸が描いた瀟湘八景図は遺っていないが、史料を基に再現された。
八景とは町の賑わいを描いた「山市晴嵐」、遠く海上を帆船が行き交うさまを描いた「遠浦帰帆」、のどかな漁村の光景を描いた「漁村夕照」、遠くうっそうとした山寺の鐘が響き渡る情景を描いた「烟寺晩鐘」、しとしとと降る夜の雨の情景を描いた「瀟湘夜雨」、湖上に浮かぶ月を描いた「洞庭秋月」、砂浜に雁が舞い降りるところを描いた「平沙落雁」、山に雪が降り積もるさまを描いた「江天暮雪」の8つ。日本には鎌倉時代頃に伝わり、多くの画家が画題にし、それぞれ様々な情景を描いた。
「開山栄西禅師八百年大遠諱慶讃事業」として、染色作家の鳥羽美花氏によって描かれた小書院の襖絵。
書の構図が実物の屏風を連想させ、まさに風神と雷神が天を飛翔しているかのような躍動的かつ力強い作品です。