
開山千光祖師明庵栄西(みんなんようさい)禅師。永治元年(1141年)4月20日、備中(岡山県)吉備津宮の社家、賀陽(かや)氏の子として誕生しました。
11歳で地元安養寺の静心(じょうしん)和尚に師事し、13歳で比叡山延暦寺に登り翌年得度、天台・密教を修学します。 そののち、宋での禅宗の盛んなることを知り、28歳と47歳に二度の渡宋を果たします。
2回目の入宋においてはインドへの巡蹟を目指すも果たせず、天台山に登り、万年寺の住持虚庵懐敞(きあんえじょう)のもとで臨済宗黄龍派の禅を5年に亘り修行、その法を受け継いで建久2年(1191)に帰国しました。
都での禅の布教は困難を極めたが、建久6年(1195年)博多の聖福寺(しょうふくじ)を開き、「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」を著すなどしてその教えの正統を説きました。
また、鎌倉に出向き将軍源頼家の庇護のもと正治2年(1200年)寿福寺が建立、住持に請ぜられます。
その2年後、建仁寺の創建により師の大願が果たされることになりました。
その後、建保3年(1215年)7月5日、75歳、建仁寺で示寂。護国院にその塔所があります。
また師は在宋中、茶を喫しその効用と作法を研究、茶種を持ち帰り栽培し、「喫茶養生記(きっさようじょうき)」を著すなどして普及と奨励に勤め、日本の茶祖としても尊崇されています。
栄西禅師略年譜
1141年 | 1歳 | 4月20日備中に生まれる。 |
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1148年 | 8歳 | 出家を志す。 |
1151年 | 11歳 | 安養寺・静心和尚に師事。 |
1153年 | 13歳 | 秋、叡山に登る。 |
1154年 | 14歳 | 落髪して栄西と称す。 |
1157年 | 17歳 | 静心没す。法兄千命に従う。 |
1159年 | 19歳 | 叡山有弁に従い台教を学ぶ。 |
1163年 | 23歳 | 叡山を下る。 |
1167年 | 27歳 | 大山寺基好から密乗を受く。 |
1168年 | 28歳 | 阿蘇山にて入宋渡海を祈願。 4月入宋、9月帰朝。 座主明雲に天台章疏を呈す |
1169年 | 29歳 | 備中に清和寺を建立 |
1175年 | 35歳 | 今津誓願寺創建縁起を起草 |
1187年 | 47歳 | 再入宋・虚庵懐敞に参ず |
1191年 | 51歳 | 虚庵懐敞から印可 7月平戸葦浦に帰着 |
1192年 | 52歳 | 筑前香椎に建久報恩寺建立 初めて布薩式を行う 上京して禅宗を唱う |
1195年 | 55歳 | 聖福寺創建 開山となる |
1198年 | 58歳 | 興禅護国論を撰す |
1200年 | 60歳 | 鎌倉・寿福寺 住持となる |
1202年 | 62歳 | 建仁寺創建 開山となる。 台・密・禅の三宗併置 |
1204年 | 64歳 | 建仁寺僧堂造営 日本仏法中興願文を草す |
1206年 | 66歳 | 東大寺勧進職に任ぜられる |
1207年 | 67歳 | 明慧、師に参請す |
1211年 | 71歳 | 喫茶養生記を撰す |
1214年 | 74歳 | 道元、栄西に相見す |
1215年 | 75歳 | 7月5日 建仁寺に寂す |
