建仁寺開山・栄西禅師が、中国から茶種を持ち帰って日本において栽培を奨励し、喫茶の法を普及された事はあまりにも有名です。
開山以前、我が国に茶樹がなかったわけでも、喫茶の風がなかったわけでもありません。
我が国に茶の種が入ったのは、古く奈良朝時代と思われます。下って平安時代には、貴族・僧侶の上流社会の間に喫茶の風が愛用されました。
開山が少年時代を過ごされた叡山にも、伝教大師以来、古くから茶との結びつきがありました。この伝統の影響を受けられた開山が、茶種の招来、喫茶の奨励、いままでごく一部の上流社会だけに限られていた茶を、広く一般社会にまで拡大されたということができます。
喫茶の法の普及と禅宗の伝来とは深い関係がありました。
禅宗僧侶の集団修道生活の規則は、すでに中国において唐代に確立し、これを清規といいます。「清規」とは清浄なる衆僧の規則という意味で、その清規の中に茶礼・点茶・煎茶や茶についての儀式が多くあります。
特に座禅の際行う茶礼は、眠気覚ましには特効薬的意味もあって、修道にはなくてはならない行事です。
また座禅修行者に限らず、一般の人に対して茶は保健上から良薬であると、茶徳を讃得たのが開山の『喫茶養生記』です。
上下二巻にわたり、喫茶の法、茶樹の栽培、薬効等茶に関する総合的著述になっています。
そして「茶は養生の仙薬・延齢の妙術である」という巻頭語の所以を詳述しました。
開山は再入宋後、茶種を持ち帰り、筑前の背振山に植えられました。 これが「岩上茶」のおこりだといわれます。また、開山が栂尾の明恵上人に茶種を贈られたことも有名で、「栂尾茶」の始まりといわています。宇治の茶は、この栂尾から移されたものです。
茶は今日では日本人の日常生活に欠くことのできない飲料であるばかりでなく、茶道の興隆と共に、東洋的精神の宣揚にも役立っています。 建仁寺開山・栄西禅師が日本の茶祖として尊崇されるのはそのためです。